インターネットという公共の場で人を傷つけるということ【4】

おはようございます。情報セキュリティ相談センターです。

情報倫理という言葉をご存じでしょうか?

倫理とは人間生活の中の普遍的な善悪の基準、秩序のことであり、情報を扱う際の行動規範のことです。

倫理という言葉を使うと難しく感じますが、ようは倫(人の輪)の理(ことわり)ですから、つまり、人の、仲間内のきまり、秩序というわけです。

きまりといっても法律ではありませんから、あくまで道徳の範囲内の規範です。

さて、インターネット、サイバー空間が生活に密接している現代で、わたしたちが小学生の時に学んだ“現実世界”の道徳はサイバー空間でも適用されるのでしょうか?

急速に発展したインターネット上は、いまや立派な公共の場ですが、しかしそこには具体的な法律が伴っていませんでした。

いまでこそ徐々に整備されていますが、それでもまだ間にあっていません。その現状が、これまでお話ししてきた炎上や誹謗中傷です。

わたしたちは、法のもとで現実世界を生きている反面、法の伴わないサイバー世界を倫理をもってして生きています。

毎週、炎上についてお話してきましたが、本日は、サイバー世界の倫理・道徳や法律についてのお話です。


インターネット暴力

日本は治安のいい国、とよく言われます。みなさんはどう思いますか?昔と比べて、他の国と比べて、確かに治安は良いのかもしれません。

ではインターネットはどうでしょうか?

インターネット上で交わされるコミュニケーションはそのほとんどが文字によるものです。なにをしても、画面の向こうにいる人に肉体的な影響は与えません。

言ってしまえば、誰のことも物理的には一切傷つけずに攻撃することができます。簡単ですよ。

従来の、なんだか気に食わない芸能人を、テレビ越しに悪く言うのとはわけが違います。誰の目にも触れる公共の場ですから、どんなに小さな声でつぶやいたとしても、それはもうなかったことにはできません。直接だろうと、間接的だろうと、それはもう暴力になり得るのです。

さて、誹謗中傷と呼ばれるその暴力は、深刻な社会問題となっています。一般人が有名人に対して行うものだけでなく、一般人から一般人へ行われる暴力も、です。

さて、SNSや誹謗中傷における法律というものはまだあまり多くありません。とはいえ、誹謗中傷や侮蔑、無責任な噂は立派な人権侵害ですから、法律違反に当たります。

人間としての権利、憲法が保障している基本的人権を不当に踏みにじる行為は人権侵害に当たります。健康で文化的な生活を送る権利は誰にでも平等にあり、誰も脅かしてはいけません。

それはもちろん、インターネット上だろうと当てはまります。

インターネットにおける暴力に肉体的な影響は出ませんし、暴行罪も適応されません。しかしたしかにそれは権利の侵害で、不法と言われたらなにも言い返せないのです。

それでは、はたしてこの国の治安はほんとうにいいのでしょうか?



電波に乗る陰口

陰口とは、当人のいないところで行われる悪口のことを言います。学生時代、する側でも、される側でも、経験がある人は少なくないのではないでしょうか?

わたしも、陰口を言ったことがないとは言えません。学生時代、気に食わない相手、厳しい先生、家族のこと。少し話に色をつけて、当たり前の会話のようにしていたことがあります。

決して許されることではありません。子供だからいいってわけでもないですよ。だって立派な人権侵害じゃないですか。

侮辱罪、名誉毀損、なんとなく聞いたことのある「ダメなこと」にきちんと当てはまります。

さて、陰口といえば、わたしは女子が学校のお手洗いでこそこそと話している風景なんかを思い描きますが、あくまでこれはステレオタイプなキャラクター付けです。性別も年齢も場所も関係ありません。陰口なんて、どこでも起き得ます。

それこそ学校なんかですれば、もしかすると本人の耳にも届くかもしれません。関係のない人がたまたま聞いて、本人に教えるかもしれません。

しかしインターネットならどうでしょうか。

遠距離間でのコミュニケーション方法は、郵便手紙から始まりFAXからメール、メールからチャットへと変わってきています。

チャットになったことで、インターネット上での会話はとてもスムーズになりました。メールでは正直面倒くさいと思っていた何気ない雑談も、チャットであれば時差もなくぽんぽん会話できますから、ついつい話しすぎてしまいます。

今はもうほとんどチャットが主流ではないでしょうか。

手軽で、雑談感覚で会話ができて、おまけに匿名性や機密性が高いチャットですから、それが陰口の温床となってしまうのは火を見るより明らかです。

つい最近、いじめが原因で小学生の女の子が自殺した事件がありました。覚えていますでしょうか?

原因はさまざまですが、話題となったのはやはり学年全員に配られたタブレット端末でしょう。

GIGAスクール構想といって、コンピュータやネットワークを生徒ひとりひとりに整備する取り組みの一環で、その小学校はいちはやく6年生全員にタブレット端末が配られました。

このコロナ禍で在宅ワークが増え、学校でもオンライン授業が実施されましたから、1人1台タブレット端末は今後も必要になるでしょう。わたしも大学生時代、テキストや参考図書はほとんど電子書籍で利用していましたし、ペーパーレスの時代ですから、教科書もいずれ電子媒体になる時代はいずれきます。GIGAスクール構想は、近い未来のかたちのひとつです。

しかし今回の問題は、そのタブレット端末の管理の杜撰さ、そして冒頭にお話ししました、子供の倫理によるものです。

配られたタブレット端末の使用制限やパスワードが共通だったことはセキュリティの面からみても大問題ですが、今回は話の趣旨とは多少ずれますから、詳しく触れません。(もちろん、学校というものは子供のお手本なわけですから、そういった現代化に伴う情報セキュリティの教育の意味も含めてきちんとやるべきだったと思いますよ)

さて、では倫理の問題ですが、この件では配られたタブレット上で使用されたチャットに女の子の悪口が書き込まれていたことが原因の1つです。わたしたちが普段使っているチャットツールは、SNSと比べ機密性が高く、基本的に会話の内容は外に漏れませんから、「陰口を言ってもばれない」「バレなければ相手を傷つけない」と、先の言葉を使えば「これは暴力に当たらない」と、なんとなく思ってしまうんですよね。

しかし、配られたタブレットは前述のようにセキュリティ面で大きな欠陥がありました。ログインするためのIDは出席番号や誕生日のような、推測できる通し番号で、パスワードは全員統一のもの。誰でもその気になれば簡単に他人のチャットの履歴を見ることも、他人に成りすますこともできます。

必要なのは、「誰にも見られないからといって陰口をたたいていいわけではない」「どんな理由でも、たとえそれが容易でも、他人のアカウントにログインしてはいけない」という意識でした。

とくに後者なんかは、今回はチャットの閲覧のみですが、これに課金といった金銭的被害も関わってくる可能性が大いにあります。

どちらの意識も、当てはまるものはあるものの具体的な法律があるわけではありません。今のところどうしても、インターネットの治安は利用者の倫理観や道徳心に一存されているのです。



本日のまとめ

子供といえど人権はありますから、それは侵害してはいけませんし、いじめを「喧嘩」や「じゃれ合い」といった言葉で軽視するのは間違っています。

これまで、炎上といった大きな、そして誰の目にも容易に入る問題についてお話ししましたが、誰も知らないところでも形の残らない暴力は行われています。今回の件も、女の子が亡くなるまでご両親はなにも知らなかったそうです。

繰り返しになりますが、インターネットに関する法律は少しずつ整備されていますが、まだまだ甘いところも多く、ユーザーの倫理観や道徳心に委ねられているのが現状です。

プロバイダ責任法といった、情報の開示請求に関する法律はありますが、ではその具体的な方法は知っていますか?そもそもその法律自体知らない人だっているのです。

急速すぎたIT化、インターネット世界の成長に、教育や法律は追いついていません。

教育や法律だけでなく、利用するわたしたちの意識も柔軟に変えていかなければいけません。

いじめのかたちも、その発覚要因も、内容も、何もかもが変わってきています。同様に、物理的な傷を与えずとも、目に見えなくても、言葉で他人を傷つけることはずっと簡単になっています。たとえ目に見えなくても、それは暴力です。

インターネット世界は今までの現実世界とは違います。しかしもうひとつの世界です。目に見えないだけで、公共の空間ですから。



<参考サイト>

公益社団法人日本看護協会

高知新聞PLUS

総務省